逗子の余波
自分の身体と向き合いながら、
内なる私の声に耳を傾けるボディーワーク
自然のエネルギーに身を任せて、
感じるままに表現を行うシアターワーク
母との関係を紐解く内観のワーク
幸せを願う瞑想の時間
それらの体験を終えて、
直ぐにまた現実の仕事に引き戻される。
ちょうど、今の職場に異動が決まって一年。
私は、きっとどこかで、
『教師である母親』になることを
恐れていたのだと思う。
自身の母の姿から目を背け、
それでも同じ道を辿ってしまうもどかしさ。
今の職場に来たら、
『母親らしい教師』になれるかもしれないと思っていた。
でも、実際に職場で求められるのは
『教師らしい教師』の姿だった。
ここからは、完全に私個人の考えですが、
『教師』は、自分の教え子の成果は嬉しい。
その反面、自分の教え子の失敗は、イコール自分の失敗の様に感じてしまう事がある。
それは、母親が自分の子どもに対して抱く思いに似ていて、
子どもができない事とか、躾が上手くできない事とか、全部母親である自分のせいなのかと思ってしまう。
仕事も上手く行かない、
子どもの養育も満足にできない、
と、自分が世界を捉えてしまっているときは、本当に辛かった。
どんなに内面のコントロールをしても
他者からの評価は、
なかなか受け流す事ができなかった。
今、この瞬間も
仕事も山ほど残ってるし
家事も全然できていないし
子ども達やりたい放題だけど
その状況に探究心を芽生えさせた今、
生きて行くこととても楽しく、
ワクワクする思いを強く感じます。
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