軽井沢リトリートの余韻

2019年8月10日から1泊2日の予定で行われた
Contemplative Theatre 
    -こころ・からだ・いまを現す-

軽井沢の国際高等セミナーハウスにて行われたリトリートは、私の人生における節目となったと確信しています。

このリトリートを企画して下さった
3人の先生方とのエピソードを振り返りながら
自己理解と自己変容がゆっくりと進行していった過程をまとめてみたいと思います。

【目次】

⒈魂の表現が時空を超える
  ①フクロウ🦉を通じて
  ②科学分野の先人から
  ③17歳の私へのメッセージ
  ④流星群を通じて繋がったメロディ
  ⑤17歳の私と、目の前の17歳

2.学びの探究心が向かう先の納得解
  ①科学教育の手法を学びたい
  ②自閉症の子ども達から学びたい
  ③芸術の力の可能性を信じたい

⒊自己理解の先にある他者理解
  ①知ったつもりでいた私
  ②あなたも同じ、私と同じ
  ③表現をしていく決意
⒈魂の表現が時空を超える
  ①フクロウ🦉を通じて
     国際高等セミナーハウスの入り口に、
  手塚千鶴子先生の旦那様が猪瀬博先生に
  寄贈されたというフクロウの像がある。

  中学時代の美術の先生が、芸大出身の先生
  であり、その先生を師と仰いだ事が創作の
  きっかけであったというエピソードを聞き
  心が惹きつけられる。

  セミナーハウスの窓には至る所にフクロウが
  羽ばたくステッカーが貼ってあり、
  廊下を歩くたびに、フクロウ🦉に
  見守られている感覚だった。


  ②科学分野の先人から
     セミナーハウスには他にも先人達の痕跡が
   残されていて、グランドピアノや猪瀬先生の
   サインなど、厳かな雰囲気が感じられた。
      中でも、私は本棚の書籍に一つ一つ直筆の
   サインが刻まれていたことに感銘を受けた。

      村上陽一郎先生は、以前のブログにも
    残した様に、私の理科教師としての指針を
    示して下さった。
      科学を如何に社会に役立てていくのか、
    研究費を何処から得たら良いのか、科学を
    教える上での倫理感、哲学を学んだ。
   「人生は意図を超えて」を通じて改めて
 その偉大な存在感を感じたのが、
 野依良治先生。彼の記事を今年の6月に読み
 共感と、現代の教育への憂いを覚えた。

ノーベル賞・野依博士「本気で怒っている」日本の教育に危機感(THE PAGE)
                                      - Yahoo!ニュース

   諸先生方の表現は、20年という歳月を
 超えて、2019年の私にダイレクトに響いた。
   この20年で学習指導要領は2回改定され、
 来年から新指導要領が小学校で完全実施と
 なる訳であるが、20年でやっと、諸先生方の
 ご主張が反映されてきているかの様に思う。
   教育界の時間の流れが酷くゆっくりである
 事に驚愕した。
  ③17歳の私へのメッセージ
      私は、特に今の職場に配属されてから、
   自分自身に何もキャリアが積み上がって
   いない様に感じていた。
      今回のリトリートでも、教育に残るか
    新天地か…くらいの勢いで新しい道を
    模索していたのであるが、
    村上先生や野依先生から、これまでの
    私の20年間の理科、科学との関わりを
    肯定して頂けた様な感じがして
    嬉しかった。

       17歳だった頃の私も、盲目的に親の
    言いなりになっていた訳ではなく、
    その時に出来た最善の選択をしたのだと
    初めて17歳の自分を認める事ができた。
    私はそのメッセージを抱え
    軽井沢からの帰り道に
    タイムワープした感覚を味わった。



  ④流星群を通じて繋がったメロディ

     また、これはリトリートの後、
  私がペルセウス座流星群を富士山に登って
  観に行きたいと呟いた事で発覚した事。
      リトリートに参加されていた、あやさん
  がピアノで奏でていたメロディは
  あやさんが小学生だった頃に流星群を観て
  作曲したメロディであったとの事。

      魂で表現をする事は、時間や空間を
  超えて、必要とする人の元に届く。

      映画「インターステラー」のシーンを
   彷彿する私の確信。

      これは、武蔵小杉の高願寺で初めて
   井本由紀先生にお会いした時に、
   井本先生が「確実に未来から来てる」
   と仰っていたのと繋がる。

      私たちは人生の岐路に立った時、
    過去から、未来から、何か表現によって
    生まれた重力波の様なものによって
    指針を得ているのではないか。

       確かめる為の量子力学的土俵は私には
    ないのだが、ワクワクする仮説である。

  ⑤17歳の私と、目の前の17歳
      リトリートの余波はまだまだ続く。
      世間はお盆。
      親戚と集えば、そこにはリアルな
      内観後の世界が実在する。

      私には、今年大学受験をする姪っ子が
      いるのだが、彼女は迷いながらも
      芸術への道を志すらしい。

      「来年私も大学生になったら、
        同期だね。笑」と、

       やりたい道に進む彼女の背中を押した。

2.学びの探究心が向かう先の納得解
  ①科学教育の手法を学びたい
     私が今回のリトリートに参加する前、
     「私は何を学びたいのか」
     という問いについて、模索していた。
     いわゆる、できる子を育てる教育から
     距離を置こうと思っていても、
     心では最新の科学教育の動向から
     目が離せない。

  ②自閉症の子ども達から学びたい
     同時に、自閉症についての理解を深め
     彼ら彼女らへのアプローチを研究した
     いと思っていた。

  ③芸術の力の可能性を信じたい
     私には、先程の親戚の姪っ子の妹さんで
  ちーちゃんという自閉スペクトラム症の
  女の子とのエピソードがある。
      私が特別支援教育に関心を抱いたきっかけ
  の一つが、彼女の存在である。

      今日は、彼女も一緒に、親戚の子ども達が
   集まってプール遊びをしていた。
   ちーちゃんは、ちょうど、男の子と女の子の
   違いに関心がある時期で
    ソーシャルスキル的に、その衝動性は
   コントロールが必要である。
     
   良い、悪いの判断を明記に伝えるのだが、
    「ごめんなさい」「ごめんなさい」
    を繰り返すちーちゃん。

    そんなちーちゃんに、私の叔父
    (ちーちゃんの祖父)は、
   『いいんだよ、お前は楽しめば』
    とさりげなく声をかけている。


    ソーシャルスキルを明確に教える存在と
    その存在を全肯定して見守る存在が

    やはり両方とも欠かせないと感じた。

    そして、私はやはり教育の立場として
    ソーシャルスキルの明確化は必要だと
    思うが、
    存在の全肯定を忘れてはいけないと
    気づかされた。
  
    芸術にはきっと、子ども達の存在を
    輝かせる可能性があると思う。

    ちなみにちーちゃんの描く絵は
    かなり芸術的らしい。


⒊自己理解の先にある他者理解
  ①知ったつもりでいた私
     親戚の家から戻った私は、
     子ども達が昼寝をしている間
     再度、小木戸さんのファーストアルバム
   と本を手にとった。

      
     2017年、私は育児休業中で、今と同様
  自身のアイデンティティに悩んでいた。

      公美子さんから情報をもらった時、
   迷いはなかった。
      当時も本を読んだし、光明寺から戻った
   後も、その体験を忘れたくなくて
   ファーストアルバムをリピートしていた。
     
     今回のリトリート後、ひとつはっきりと
   自覚できた事がありました。
     それは、自己理解が深まると
   他者理解に向けて開いていく感覚。

      私は今まで自分の事で精一杯で
   小木戸さんの全てを
   受け止められる器が用意できていなかった。

      今回、小木戸さんのワークの後
   初めて小木戸さんの事をもっとよく
   知りたいという衝動がありました。
  ②あなたも同じ、私と同じ
      小木戸さんのファーストアルバム
      incarnations
      iTunesの特集で4万7千のダウンロードを
      記録したという
      reunion
      その歌詞にある

     I don’t want to be a foreign one

     リトリート後に改めて聴くと
     心から涙が出ました。(左目から)
     心が震えて、カラダがワナワナと
     している感覚です。

     私もそうだと強く思う。
     
      
  ③表現をしていく決意
      私はこれまで、小木戸さんのワークに
   参加する事で、自分を保って来たように
   思う。
      しかし、これからは、
    自分でできる事は自分で取り組んで
    行こうと、決意の様なものがあります。

     ヨガやジャンベは、富士に居ても
   日常的に教わる事ができそうです。
      映画や、戦争についての学びも
    我が子と一緒にできそうです。
      海外とのつながりも、大事に、
      英語で伝える試みをしていきたい。

       ちょうど今は、お盆で学校も閉庁。

        表現をしていく決意を
      軽井沢リトリートを節目として
      持つことができました。

最後に、この機会を用意して下さった
3人の先生方、
一緒に参加して下さった皆様、
お一人お一人の物語が交差し
繋がり、結晶化された瞬間に
ご一緒できた事に
心から感謝申し上げます。

きっとまたどこかで。

皆様の存在を心の中に
いつも感じております。

表現と共に

働きながら子育てをする 仕事と家庭と自分をもつ 子育てをしながら自分と向き合う 本当の自分の声を大切にしようと思う そんな私が、思いを綴るブログです。

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